「どう? 二日酔いは治った?」
「二日と言うか三日酔いなのだが、まあ動くのには支障がないな」
 二晩連続の宴会で限界まで飲まされた私は、日が空けた木曜日の午後になっても、二日酔いの後遺症から解放されていなかった。しかし、力を使うのならともかく、単純に動くのには支障がない。
「まあ、歩けるなら問題ないわね」
「しかし、何故に私も行かねばならんのだ?」
 飲み過ぎによる頭痛に苛まれながら、私は真琴嬢に疑問を投げ掛けた。昨晩の直也氏の提案を一佐が受け入れこれから遠野家にあゆ嬢を呼び寄せるとの話だが、何やら私も一緒に同行して欲しいとのことだった。
「理由はよく分からないけど、あゆ姉様がもしかしたなら貴方の力が必要になるかもしれないって言ってたのよ」
「やれやれ、直接本人に訊くしかないようだな」
 真琴嬢にも理由が分からないのならば仕方ない。ここはとりあえず同行するしかないと、祐一と共にこちらに向かっているあゆ嬢を待つことにした。


第拾四話「日月交わりしみたまの化身」

「どうも、3日振りですね」
「元気そうで何よりだ」
「とりあえず車に乗って下さい。話があるなら車の中で」
「うむ」
 見慣れた車が霧島家の庭先に着き、運転席から窓越しに祐一が声を掛けて来た。お互い会ってから一ヶ月も経っていないというのに、既に数年来の親友のような関係である。
「どうも……、お久し振りです」
 祐一に言われるがままに後部座席に乗車すると、そこには何故か美凪嬢が座っていた。話を聞くと祐一が遠野へ行くから一緒にどうだと、学校帰りの美凪嬢を誘ったのだそうだ。
「こんにちは往人さん」
「ああ、こんにちは」
 助手席から巫女服姿のあゆ嬢が挨拶をして来た。私は軽く挨拶を交わした。
「ところであゆ嬢、何故に私の力が必要なのだ?」
 車が発進し遠野家へ向かう中、早速私はあゆ嬢に訊ねた。
「それは”みちる”ちゃんがどんな状態かによるから、必要かどうかは実際に着いてみないと分からないよ。でも、多分往人さんの力が必要になるだろうから、一緒に来てって頼んだんだけどね」
「”みちる”? 昨晩直也氏の口からも同じ名が出たが、それは一体誰なのだ?」
「みちるは生まれてくる筈だった私の妹の名です……」
 あゆ嬢に疑問を投げ掛けると、真琴嬢を隔てて左端の座席に座っている美凪嬢が口を開いた。生まれてくる筈だったという表現が気になるが、私は美凪嬢の口から出る言葉を続けて聞いた。
「私の美凪という名前は父が名付けた名です……。海岸近くで海風と陸風が交替する時、暫く風が止む朝凪や夕凪と呼ばれる現象。その無風状態は一瞬で、すぐにまた風が吹き流れ出す……。
 それは刹那の無常であり、無常であるから美しい。そして風が美しさのあまり吹くのを止め、凪ぐ程の美しい子供に育って欲しい……。そういった意味を込めて、私は”美凪”と名付けられました」
 随分と大層な名前な気もするが、それだけ期待されて生まれて来たのだろう。正直、家族という枠組の中で生きて来なかった私にとっては、その期待の中で生きるというのは羨望の的である。
「そういった経緯もあり、父は私を可愛がり、私もそれに応えていました……。私は典型的なお父さんっ子なのですよ」
 美凪嬢がお父さんっ子であるというのには違和感を抱かない。今までの美凪嬢の言動を見る限り、至る所で父親の影響を受けているのが垣間見られる。そして何より、昨日の父親の前での美凪嬢の態度が、確信的に美凪嬢がお父さんっ子であることの証明に繋がっている。
「そして私と父が仲良くしている時、母は何処か蚊帳の外でした……。父もそのことには気付いていて、今度子供が生まれて来る時は母が望む名を名付けることとなりました……」
「ふむ。つまりはその子供が”みちる”ということか」
「ええ……。私の母は名をひかると言います。その母が望んだ名が、光が満ちる、光が集まり満ちることによって生み出された”ひかる”の子供だという意味を込めた、”みちる”という名でした……。
 ですが……みちると名付けられる筈だった子供は、母が流産をしてしまい、生まれて来ることはありませんでした……」
「だから生まれてくる筈だった子供なのか。辛いことを話させてしまって済まんな……」
「いえ……。自分の妹や弟に当たる子供が生まれて来なかったことは辛いことではありますが……、それでも私には両親がいます。ですから私はその哀しみにまだ堪えられることが出来ました。ですが最もみちるを望んだ母は……」
 そう言うと美凪嬢は、口ずさんでしまった。続く言葉は生まれてくる筈だった子供が生まれて来なかったことより堪え難い辛いことなのだろうか……?



「帰って来たか、美凪……」
「お父様、家に戻ってたのですね……。でも何故外に?」
 遠野家に着くと、その玄関先から少し離れた場所に、私達より一足先に遠野家に向かった直也氏と一佐がいた。
「どうも足を踏み入れるのが怖くてな。自分の家だというのに情けないものだ……」
 そう嘆く一佐の姿には、腰の据わった自衛官のイメージはなく、身体全体から覇気が削ぎ落とされたかの様だった。
「只今帰りました、お母様」
 その躊躇いを見せている一佐に構うことなく、美凪嬢は帰宅したことを母に告げた。
「お帰りなさい、みちる・・・。今日はいつもより早かったわね」
「!?」
 その言葉に、その場にいた誰もが動揺の色を示した。家に帰って来た美凪嬢に母が呼び掛けた名、その名は生まれてくる筈だったみちるの名だった。
「ええ……。卒業した顔見知りの先輩に送られて来て……」
 その母に対し、美凪嬢は当り障りのない極普通の返事をした。しかし、その美凪嬢の声は何処か哀しげだった。
 無理もない。理由は分からないが、母親が自分の名ではなく生まれて来る筈だったみちるの名で呼ぶのだから。
「それとお母様、お父様が……」
「只今帰った、ひかる……」
 美凪嬢に呼ばれ顔を見せずにはいられなくなった一佐は、重い足取りで玄関先へ踏み出た。
「まあ、あなた、お戻りになっていらっしゃったの? 連絡位して下さればこちらからお迎えに上がりましたのに……」
「すみません、ひかるさん。猛が帰って来たと言うものだから、久々に一杯やらないかと家に誘って昨晩から徹夜で祝杯を上げてたんです。それについ夢中になってしまっていて……」
 連絡しなかった理由を躊躇して口に出せなかった一佐を、間髪入れずに直也氏が代弁した。実際は一佐の方から誘ったようなものだが、一佐の立場を危うくさせないよう事実を歪曲した。この辺りのフォローの仕方は、流石は同じ釜の飯を食った仲という所か。
「あらあら、それでわざわざ主人を送って来て下さったのですか?」
「ええ、まあ」
「いつもお世話になってばかりですみません。あなた、みちるもあなたの帰りを待ちわびてるんですから、直也さんと飲むのもいいですけど、これからは一度家に帰ってからにして下さいね」
「ああ、すまなかった」
 そうひかる夫人に向い苦笑いする一佐。こうして見ると、ひかる夫人は亭主を敬う極普通の家庭の良き妻にしか見えない。それだけに、美凪嬢をみちると呼ぶのにはより一層の違和感を抱く。
「それでひかる、その詫びという訳ではないのだが、直也に送られてきたら偶然美凪を送って来てくれた先輩と鉢合わせたんで、折角だからその先輩に中でお茶でもどうだと誘ったんだが……」
「あらあらそれは……。ご遠慮せずにお茶を召し上がっていって下さいな」
「そう行きたい所なんですが、他の友達も一緒でして私一人だけ頂くというのも……」
「あらあら、構わないわ。みちるのお友達には変わりないんですから、皆さん家に上がって下さいな」
 会話の流れから上手い具合に遠野家に訪れた皆が中に入ることが出来た。
 しかし、確かに一佐は、はっきりと”美凪”と言った筈なのに、ひかる夫人は”みちる”と返した。精神的な病か何かで美凪嬢をみちると認識しているのだろうか?
「……。この感じ、やっぱり……」
「どうしたんだ、あゆ?」
「上手く言えないけど、みちるちゃんはまだ生まれていない・・・・・・・・・んだよ……」
 家の奥へ案内するひかる夫人の背中を見つめながら、あゆ嬢がそう囁いた。
 みちるちゃんはまだ生まれていない・・・・・・・・・、それは一体どういう意味なのだろう……?



「さて、私はひかるさんの症状は、自分が望んだ子が生まれて来なかったことに負い目を感じ、その精神的な負荷に堪えられず、”みちる”という子が生きているものと信じ、その姿を美凪に重ねているものだと思っていた。
 それで君に頼んでみちるを呼び寄せてもらおうと思い、こうして来てもらった訳なのだが……。
 しかし先程の君の反応だとまるでみちるが死んでいないような言い草だったが、あれは一体どういう意味なんだね?」
 遠野家の居間に案内され、開口一番直也氏が自分の見解を述べながら、先程のあゆ嬢の発言に切り込んだ。私自身は元々直也氏の見解と同じような考えに立っており、それだけにあゆ嬢の見解が気に掛かる。
「昨日直也さんにひかるさんの症状を聞いた時考えてみたんです。もし自分がまだお母さんのお腹の中にいて、お母さんが自分が生まれて来るのを凄く楽しみにしてて、そして生まれて来れなかった時どう思うか、みちるちゃんの立場になって考えてみたんです……」
「まるで腹の中の胎児が意思を持っているかのような言い草だな」
「往人さん、人間は持ってるんだよ、お母さんのお腹の中にいる時から意思を。それに胎児はへその緒でお母さんと結ばれているんだよ。だから自分からお母さんに気持ちを伝えることは出来ないけど、お母さんの気持ちは伝わって来るんだよ……」
 今まで考えたこともなかった。いや、生まれて来る時点で初めて人間は意思を持つものと思い込んでいただけだ。
 だが、冷静に考えれば、精子と卵子が受精した時点で既に人間は誕生している・・・・・・のだ!
 そう、ミリ単位の生物でさえ本能的な意思は持っている。ならば腹の中の胎児に意思がないと考える方が寧ろ不自然だ。
「だから、みちるちゃんには、ずっとずっとお母さんの気持ちが伝わっていた筈です。自分はこれだけ生まれることを望まれてるんだって……。
 だから、お母さんのお腹の中で亡くなって魂を大気へ旅立たせようとしても、お母さんが自分を望んだ気持ちを忘れられなくって、そしてお母さんと一緒になったと思うんです……」
「お母さんと一緒。魂の同化ってことね。わたしや八雲のように……」
「うん。真琴ちゃんや八雲君の場合と違って、生まれないでお母さんと一緒になったって違いはあるけど。
 そしてお母さんに自分が生きていると思わせて安心させる為に、みちるちゃんは美凪ちゃんを自分だってお母さんに思わさせてたんです……」
 俄かには信じ難いが、恐らくはみちるがひかる夫人の脳に刺激を与えるなどして認識を誤らせていたのだろう。一般的な表現でいえば取り憑くというものか?
「だけど、私はそれは本当に幸せなことではないと思うんです。だってひかるさんはみちるちゃんを抱き締めることは出来ないし、みちるちゃんはお母さんに抱き締めてもらえないんだから……。
 私はみちるちゃんがお母さんに抱き締められ、そして何より家族全員の温かみに触れられるのが一番の幸せだと思います。
 それで猛さんと美凪ちゃんにお聞きしたいことがあります。例え刹那の時でもみちるちゃんがこの家族の中で生きられることが叶うとしたら、それを望みますか……?」
 その時、今まで一言も口を開かずに真摯な態度であゆ嬢の話を聞いていた美凪嬢と一佐は、息を合わせるかの様に二人同時に頷いたのだった。



「分かりました。じゃあもう一つ猛さんにお聞きします。猛さんとひかるさんの二人の想いが強く込められたものってありますか?」
「それはみちるを家族として迎える願いを叶えるのに必要なものなのか?」
「はい」
「二人の想いが強く込められたものか……。ひかる!」
 一佐は暫く考え込み、その後ひかる夫人の名を呼んだ。
「はい、あなた。お茶なら今すぐ持って行きますわ」
「いや、すまないが、久し振りに俺がお前にあげたあの貝殻を見たくなった。お茶を運び終えてからでいいから、それをここに持って来てくれないか」
「ええ。分かりましたわ」
 一佐の言付を聞き、ひかる夫人はお茶を私達に出した後居間を後にし、暫くすると大事そうに箱を抱えて来た。
「はい、あなた。でも急に見たくなっただなんて、何か理由でも?」
「いや、お茶の種にみんなにお前と初めて海に行った時のことを話そうと思ってな」
「ふふっ、あなたったら、恥ずかしいですわ」
 そう言いながらもひかる夫人は一佐が話出すことを拒まなかった。
 一佐はひかる夫人から渡された箱の中に大切に保管されている貝殻を取り出し、その貝殻に秘められた二人の思い出話を話し始めた。
 その話はひかる夫人の実家の話から始まった。一佐の話によると、ひかる夫人はこの地の嘗ての地主の家に生まれ、名家ながらの厳しい環境で大切に育てられ、この遠野から外に出たことは殆どなかったという。
 そして一佐と結婚を誓い合った時、ひかる夫人は海を見たいと言ったそうだ。一佐はその希望を聞き入れ、ひかる夫人と共に海へと向かったという。そしてそこで二人で子供に恵まれた温かい家庭を築き上げて行くことを誓い合い、その証として一佐は海岸で拾った貝殻を夫人にプレゼントしたとのことだった。
「……という話だ。どうだ月宮君、これは君の言う私達二人の想いが込められたものに値するかね?」
「ええ。十分値します」
「それであゆ嬢、これから何を行うのだ?」
「それはね……」
 あゆ嬢がこれから行うとしていること、それは人の身体の代替になるものにみちるの魂を移す行為だという。
 あゆ嬢が言うには、魂を肉体以外に移し替えるには魂を入れるものが必要なのだそうだ。そのものとは何でも良いという訳ではなく、その魂に対する想いが込められたものではくてはならないという。
 そして子供というのは愛し合う夫婦二人の想いによってこの世に生まれ出ずる者。だから一佐とひかる夫人の二人の想いが込められているものが必要なのだそうだ。
「あの、さっきから何を? みちるは私の目の前にいますけど?」
「みちるちゃん、私の言ったこと分かるよね? だったら……」
 状況を把握し切れていないひかる夫人にあゆ嬢が囁いた瞬間、あゆ嬢の言葉に導かれるかの様にひかる夫人がその場に倒れ込んだ。
「ひかる!」
「お母様!」
 そして驚いた一佐と美凪嬢がひかる夫人の元へ駆け付いだ。
「大丈夫です。みちるちゃんが離れたショックで一時的に倒れただけだから。暫くすれば目を覚まします」
「お母様、お母様……」
「ん……」
 あゆ嬢に問題はないと言われたものの、美凪嬢は母親に向かって呼び掛けた。するとひかる夫人はまるで夢から覚めた様に目をゆっくりと開け始めた。
「お母様……、私が誰だか分かりますか?」
「何を言っているの美凪、自分の子供の名を忘れる親が何処にいますか?」
「お母様……」
 一体どれだけの間語られていなかったのだろう……? 久し振りに母親の口から自分の名が出たことに、美凪嬢は涙を流しながら母親へと抱き付いた。
「でも何故だか随分久し振りに美凪の顔を見た気がするわ。それに流産した筈のみちるが今まで目の前にいたような……」
「ひかるさん、それはね……」
 みちるの魂が離れたひかる夫人に、あゆ嬢は事の経緯を丁寧に語り掛けた。今までみちるの魂がひかる夫人と共にあったこと、そのみちるが美凪をみちると認識させていたことを。
「そう……。今までみちるが生きていると思ったのは、そして目の前にいる美凪の顔をずっと見ていない気がしたのはその為だったのね……」
「はい。そしてみちるちゃんの魂はまだお母さんに寄り添う様に、ひかるさんの周りを漂っています」
 そしてあゆ嬢は、ひかる夫人に一佐と美凪嬢に訊ねたことと同じことを訊ねた。応えを聞くまでもなく、ひかる夫人は頷いた。
「しかし、何故刹那の時だけなのだ?」
 今更ながら私はあゆ嬢に疑問を投げ掛けた。魂を想いが込められたものに入れる行為は、あゆ嬢が以前自分に八雲を乗り移させた行為とは勝手が違うのだろうか?
「例え想いが込められたものでも、魂を移す器が偽りの身体である限り、人の魂をずっと入れ続けることは出来ないんだよ……。
 持って一日が限度。そして私の力では移し替えてその姿を形創るのが精一杯。みちるちゃんを刹那の時でも動かすには私一人の力だけじゃ駄目……。祐一君、そして往人さんの力が必要です」
「私の力が?」
「うん。私の力は死と再生の力。魂を想いの込められたものに宿し、人の姿を形創るのは再生の力だけど、それを動かすのには生の力が必要だから……」
 あゆ嬢の申し出を断る理由はなかった。父親がいて母親がいる家族。そんな家族は幸せであり続けて欲しいと心の底から思うからだ。私が力を貸すことにより遠野家に幸せが訪れるなら、二日酔いどうだのと言う言い逃れはしない。全力で躊躇わずに力を発揮するまでだ……!



「ではこれからみちるちゃんの魂をこの貝殻に移し、そしてみちるちゃんを形創ります。
 まずは、猛さん、ひかるさん、美凪ちゃん、三人がこの貝殻に手を合わせて下さい。そしてみちるちゃんが生きて元気にはしゃいだり楽しんだりしている姿を思い浮かべて下さい……」
 あゆ嬢に言われるがままに三人は貝殻に手を合わせた。みちるが自分達と共に幸せに暮らす様子を思い浮かべながら。
「次に私が祝詞を唱えて、みちるちゃんの魂をこの貝殻に移します。そして最後に、祐一君と往人さんが人の姿になったみちるちゃんに力を放出して下さい!」
「分かったあゆ。すみませんね、往人さん。本来なら私一人だけで手伝うべき所なんですが……」
「気にせずとも良い。こういった事は一人よりも二人の方が良いであろう?」
 横で申し訳なさそうに話す祐一に、私は軽い笑みを浮かべて言葉を返した。これから何が行われるかは漠然としか理解出来ない。だが、それがこの遠野家の幸福に繋がる行為であるのは間違いない。
 人の幸福の為に手を貸す。今まで自分本位で生きて来た節があったが、他人の幸福の為に尽くすのも悪くはないと思った。
「我等を護り賜し八百万~やおよろずのかみよ、願はくば水子となりて母と共に居ませしこの御靈みたまを、我が月讀力つくよみのおちから持て、刹那の命を与へ賜えん、仮身傳生……」
 それは不思議で神秘的な光景だった。あゆ嬢が祝詞を唱え舞を踊り始めると、輝く光と共に貝殻が見る見る人の姿へと変わっていった。
「さて、ここからが私達の出番です。やる事は単純な力の放出、波紋疾走オーバードライブです」
「よし! 時に我等も何かしらの祝詞を唱えねばならんのか……?」
「それは今から往人さんの頭に言葉を送ります。それが理解出来たなら、私と共に祝詞を唱えて下さい」
「うむ」
 貝殻が漠然とした人の形から10歳前後の少女の姿へと変わって行く。その過程で私は祝詞を祐一から伝えられた。
『我等を護り賜し八百万~よ、願はくば水子となりて母と共に居ませしこの御靈を、天地あめつち照らせし日輪に象徴されし我等が天照力あまてらすのおちから持て、刹那の命の輝きを与へ賜えん、光力與命こうりきよめい!』
 私は祝詞を理解すると、祐一と共に手を合わせ、貝殻に向けて力を放出した。すると、既に形を現した少女は静かに目を開け始めた。
「んに……ひっく……えっぐ……ぐすっ……」
 目を開け始めると、みちるは咳を切った様に泣き始めた。
「どうしたの……? なにがそんなに哀しいの?」
 そのみちるの姿を見て、美凪嬢がゆっくりと近付き、慰める様にみちるの頭を軽く撫で上げた。
「ごめん、ごめんね、美凪ねえ……ずっと、ずっとお母さんをみちるがひとりじめしてて……」
「謝る必要はないわ……。もし私も生まれて来ることが出来なくてお母さんの温もりを感じたかったから、みちると同じことをしたでしょうから……」
 自分が母親に美凪と思われていなかったこと、それは堪えられない程辛かった筈だ。だが、それはすべてはみちるの純粋な母を求める想いが引き起こしたことと理解したのだろう。美凪嬢はみちるを責め立てることもなく、泣き続けるみちるを慰めながら母親の元へ誘導してあげた。
「みちる……」
「んに……お母さん……」
 母親に優しく包み込まれ、嬉しさと幸せさから流れ出た涙を流すみちる。二人に言葉は要らなかった。ひかる夫人はどんなにみちるを抱き締めたかったことか、みちるはどんなに母親に抱かれたかったことか……。
 例え刹那の輝きだとしても、永遠に叶えられなかった筈の願いが叶ったことは、これこそ正に奇蹟だと私は思った。
「見てる、神奈様……? できたよ……千年前に柳也さんと神奈様が引き起こした奇蹟と同じことが……」
 すべての儀式が無事終えた直後、あゆ嬢がまるで空の遥か高みを眺めるかの如く、感慨深い涙目でそう呟いた。
 以前真琴嬢の口からも出た柳也という名、そしてあゆ嬢が呟いた神奈という名。一体それらの名は何を指しているのだろう? あゆ嬢の言葉に従うならば、千年前同じ行為が行なわれたということなのだろうか……?



「では私達はこの辺で」
「ああ」
 その後遠野家の一時の家族の団欒を邪魔する訳にはいかないと、他の者は各々の帰るべき場所への帰路に就いた。帰りは一台の車で済むだろうとのことから、祐一とあゆ嬢はその足で帰ることとなった。
「しかし力尽きて寝ている割には嬉しそうな寝顔であるな」
 魂を人以外のものに移す行為はあゆ嬢にかなりの負担を強いるらしく、貝殻にみちるの魂が移って間もなく、あゆ嬢は力尽きて眠りに就いた。
 しかしその寝顔には疲労の色はなく、満面の笑顔で覆い尽くされていた。
「あゆはね、自分が生まれた直後に父親を亡くし、そして10歳の時に母親を亡くしているんですよ……。だから父親もいて母親もいる、そんな恵まれた家族に生まれて来れなかったみちるちゃんがあまりに可哀想だと思って、例え刹那の時でもいいからみちるちゃんに幸せな時を過ごして欲しかったと思ってたんです。
 それが叶ってあの家族に幸せな思い出作る時間を与えられたから、それに満足してこんな満面の笑顔で眠っているんですよ」
 私が父母に恵まれた家族に生まれ育たなかった様に、あゆ嬢もまた家族に恵まれずに生まれ育って来たのだろう。その心は私と同じだったのだろう。
「祐一く……ん……」
「頑張ったな、あゆ……」
 車の助手席に寄り掛かりながら眠りに就き、寝言で祐一の名を囁くあゆ嬢の頭を、祐一は優しく撫で上げた。
「それにしても、寝言にまで名前を呼ばれるとは、余程好かれているのだな」
「ええ。両親を失って哀しみに打ちひしがれていたあゆの唯一の希望は私だけだったんですよ……。
 けど、8年前あゆは木の上から落ち、打ち所が悪くて1年半前まで眠りに就いてたんです……。
 8年前私はあゆが死んだものだと思って、その辛さに堪えられなくて7年間あゆのことを忘れていました……。だけどあゆは、私のことを忘れずに、ずっとずっと私を待ち続けていたんですよ……。
 あゆが生きてると知り、そしてあゆがずっと私を待ち続けていたことを知った時、私は思いました。こんな心の弱い自分をずっとずっと待ち続けてただなんて……。なのに自分はあゆを死んだものと思い込んでて、あゆの元へ訪れようとしなかった……。自分は何て最低な男なんだって。
 そして力を手に入れて、その力によってあゆが奇蹟的に目覚めた時、私は思ったんです。もう絶対にあゆを離さないと……」
 私に昔話を聞かせる様に話し掛ける祐一からは、あゆ嬢に対する揺るぎのない深い愛情を感じた。
 互いに互いを愛し、困難に苛まれながらも結ばれるべくして結ばれた二人の男女。この二人はそんな絆の強い愛情で結ばれているのだろう。
 こんな私にも、二人のような運命の赤い糸で結ばれた女性と巡り会う時が訪れるのだろうか……?


…第拾四話完

※後書き

う〜ん、今回書き上げるのに大分苦労しました。最初2〜3日で下書きを終え1日で推敲を終えようと思っていたのですが、最初書き上げたのに納得が行かなく推敲作業を行うもののネタが定まらず、予定より四日オーバーしてしまいました(苦笑)。まあ、時間は掛けたのでいつもよりは少し長いですが、内容は相変わらずヘタレだと思います…(苦笑)。
 さて、ようやく登場したみちるですが、どう登場させるか大分悩みました。当初は原作と同じような展開で出そうと考えていたのですが、少しは原作と差別化を測りたいと思い、今回のような展開になりました。しかしそのみちるの説明をどうするか悩んだ事で関係に時間を取られてしまったりと、下手に差別化を測ろうとして失敗したという感じですね(苦笑)。
 それと前回の答えは、「昼メロの登場人物と同じ名前」である事です。それぞれの元ネタは霧島夫婦が「真珠夫人」、遠野夫婦が「新・愛の嵐」です。ちなみに作中の猛さんがひかるさんに貝殻を渡したというネタは、まんま「新・愛の嵐」のパクリです(笑)。
 しかしながら、どうも自分は昼メロ路線が好きなのだと自覚しましたので、観鈴編(いつ書くかは今の所未定)は昼メロ路線な展開が書きたいと思う今日この頃です(笑)。
※平成17年2月22日、改訂

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